HISTORY OF BDC

Keston Pelmore / Bentley Drivers Club Founder

BENTLEY DRIVERS CLUBの歴史

クラブを独自に立ち上げたケストン・ペルモアは、1933年に購入した中古のベントレー・3リットルを始めとする、ビンテージベントレーの熱狂的なオーナーでした。「かつて一度も経験したことのないような本物の自動車」の体験に魅了されたペルモアは、ベントレーが80年以上に渡り生み出してきた、人々の心を奪うような情熱と興奮を具現化するために、同じ考えを持つ同志たちとこの体験を共有したいと考えました。

この想いを実行するにあたって、ペルモアは1936年のレースシーズンの第1回目の会合に合わせ「ベントレー・ドライバーズ・クラブ」という見出しのついた招待カードを印刷し、ブルックランドの駐車場で目にした全てのビンテージベントレーのフロンガラスにその招待カードをはさみ込みました。それは、クラブの設立に興味があるであろうビンテージベントレーのオーナーに対する招待状であり、ロンドンにあるぺルモアの独身者用アパート(郵便番号SW3 ロンドン、スローン通り)で開かれる創立総会へ招待するという内容のものでした。

招待状の反応はとても良く、創立総会には26名が参加しました。また会合を次回も開催できるよう近くのアールズ・コート通りにあるボルトンズ・ホテルへ問い合わせたところ、会合にふさわしい個室を提供してくれることになりました。その後、委員が選出され、1ヶ月以内にバークシャー州ハーレーにあるオールドベルにコースが作られると、31台ものベントレーが招かれました。さらにその年のうちには、ブルックランドのアウター・サーキットで2周レースが行われ、14名の参加者が招待されました。このような象徴的で人々を魅了する車には、クラブが必要不可欠であることをケストン・ペルモアが実証したことは疑うすべもありません。

クラブは1936年に54名のメンバーを有したまま停止しましたが、1939年の戦争勃発時には110名にまで順調に増えていました。またその時期、ウルフ・バーナートが会長になることに同意し、著名なメンバーの中にはJD・ベンジャフィールド、バーティー・ケンジントン-モワール、フランク・クレメント、その他、WOベントレー本人もいました。WOベントレーは、彼が生み出してきた自動車のクラブメンバーが増え続けていることに、驚きと喜びを隠せませんでした。しかしながら悲しくも、長期化した戦争がベントレークラブの活動を完全に停止させてしまい、ケストン・ペルモアを含む戦前の開拓者たちの命をも奪う結果になってしまったのです。